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「改善できない日」に、支援者ができること——終末期の“寄り添い”という仕事
訪問の現場では、ときに「頑張れば良くなる」という前提が通用しない日があります。
昨日伺ったご利用者さまは、最近食事がほとんど取れず、気分も落ち込みがち。
周囲の話では、医師の往診の際に「長くはないかもしれない」という説明があったようでした。
私が伺ったとき、その方は荒れた言葉を吐きました。
「うるせえんだよ、寝かせてくれよ」
正直、心が揺れました。
同時に、胸の奥で別の声も聞こえました。
——この言葉は、私への攻撃ではなく、つらさや不安、悔しさの表現なのではないか。
終末期に近づくほど、体の苦痛だけではなく、心の苦痛が増えていくことがあります。
「自分の体が思うようにならない」
「先が見えてしまう怖さ」
「周りに気を遣う余裕もない」
その状態で出てくる言葉が、荒くなるのは不思議ではありません。
ここで支援者が焦ってしまうと、つい“励まし”や“説得”に寄ってしまいます。
でも、励ましは時に重荷になります。
「頑張って」という言葉が、その方にとっては
「もう頑張れない自分を責める材料」になってしまうことがあるからです。
だから私は、目標を切り替える必要があると感じました。
改善ではなく、安心。
変化ではなく、尊厳。
具体的には、関わりを小さくします。
最初の声かけは短く、選択肢を相手に渡します。
大切なのは、主導権を相手に戻すことです。
“自分で決められる”感覚は、終末期の不安を和らげる一つの支えになります。
そして、できることは「施術」よりも「負担を増やさない関わり」になります。
枕やクッションで呼吸がしやすい角度を探す。
手を握る(許可が取れたときだけ)。
声かけは励ましではなく、今の状態を実況する。
「いま呼吸が浅いですね。少し楽な角度を探しますね」
「痛みの強さは0〜10でいうとどのくらいですか?」
こうした関わりは地味ですが、確かに意味があります。
私自身、1年前に「1年後は歩けるように頑張りましょう」と言ったことがありました。
結果は、その通りにはなりませんでした。
悔しさも残念さもあります。
でも今は、その約束を“失敗”として抱えるのではなく、
当時その方に手渡した“希望”として受け止め直したいと思っています。
人生の最後の時間に、光があるとしたら——
それは派手な希望ではなく、
「自分で選べた」
「一人じゃなかった」
「人として丁寧に扱われた」
そんな“尊厳の光”なのかもしれません。
改善だけが支援ではありません。
変えられない状況の中でも、支援者にできることはあります。
それは、その人の時間を、丁寧に扱うこと。
そして、苦痛を増やさないこと。
今日も、できることを一つずつ。
(※状態変化が大きい場合は、主治医や訪問看護と連携し、医療的判断を優先します。)
昨日伺ったご利用者さまは、最近食事がほとんど取れず、気分も落ち込みがち。
周囲の話では、医師の往診の際に「長くはないかもしれない」という説明があったようでした。
私が伺ったとき、その方は荒れた言葉を吐きました。
「うるせえんだよ、寝かせてくれよ」
正直、心が揺れました。
同時に、胸の奥で別の声も聞こえました。
——この言葉は、私への攻撃ではなく、つらさや不安、悔しさの表現なのではないか。
終末期に近づくほど、体の苦痛だけではなく、心の苦痛が増えていくことがあります。
「自分の体が思うようにならない」
「先が見えてしまう怖さ」
「周りに気を遣う余裕もない」
その状態で出てくる言葉が、荒くなるのは不思議ではありません。
ここで支援者が焦ってしまうと、つい“励まし”や“説得”に寄ってしまいます。
でも、励ましは時に重荷になります。
「頑張って」という言葉が、その方にとっては
「もう頑張れない自分を責める材料」になってしまうことがあるからです。
だから私は、目標を切り替える必要があると感じました。
改善ではなく、安心。
変化ではなく、尊厳。
具体的には、関わりを小さくします。
最初の声かけは短く、選択肢を相手に渡します。
- 「今は静かにしたほうが楽ですか?」
- 「話しかけないほうがいいですか?」
- 「1分だけ、楽になる姿勢を整えてもいいですか?嫌ならすぐやめます」
大切なのは、主導権を相手に戻すことです。
“自分で決められる”感覚は、終末期の不安を和らげる一つの支えになります。
そして、できることは「施術」よりも「負担を増やさない関わり」になります。
枕やクッションで呼吸がしやすい角度を探す。
手を握る(許可が取れたときだけ)。
声かけは励ましではなく、今の状態を実況する。
「いま呼吸が浅いですね。少し楽な角度を探しますね」
「痛みの強さは0〜10でいうとどのくらいですか?」
こうした関わりは地味ですが、確かに意味があります。
私自身、1年前に「1年後は歩けるように頑張りましょう」と言ったことがありました。
結果は、その通りにはなりませんでした。
悔しさも残念さもあります。
でも今は、その約束を“失敗”として抱えるのではなく、
当時その方に手渡した“希望”として受け止め直したいと思っています。
人生の最後の時間に、光があるとしたら——
それは派手な希望ではなく、
「自分で選べた」
「一人じゃなかった」
「人として丁寧に扱われた」
そんな“尊厳の光”なのかもしれません。
改善だけが支援ではありません。
変えられない状況の中でも、支援者にできることはあります。
それは、その人の時間を、丁寧に扱うこと。
そして、苦痛を増やさないこと。
今日も、できることを一つずつ。
(※状態変化が大きい場合は、主治医や訪問看護と連携し、医療的判断を優先します。)